そんな国です。
エル・サルバドルは中央アメリカ、ラテン・アメリカの国である。首都はサン・サルバドル。太平洋に面し、グアテマラ、ホンジュラスと国境を接している。カリブ海諸国以外の米州大陸部全体で最も小さい国であるが、伝統的に開発されていたこともあって逆に人口密度は米州でも最も高い。
正式名称はスペイン語で、República de El Salvador(レプブリカ・デ・エル・サルバドル)。通称、El Salvador。公式の英語表記は、Republic of El Salvador(レパブリック・オブ・エル・サルバドル)。通称、El Salvador。
日本語の表記は、エル・サルバドル共和国。通称、エル・サルバドル。漢字表記では救世主国(もしくは薩爾瓦多)と書く。これは、エル・サルバドル(El Salvador)がスペイン語で「救世主」を表すためであると思われる。首都サン・サルバドルは中米で二番目に人口が多い都市である。
歴史
詳細はエル・サルバドルの歴史を参照せよ
紀元前にこの地には、モンゴロイド系の先住民、すなわちインディヘナが暮らしていた。先古典期中期には、オルメカ文明の影響を受け、チャルチュアパなどに祭祀センターが築かれた。1世紀にイロパンゴ火山の噴火にともない、先住民はグアテマラのペテン低地など低地マヤ地域に避難したと考えられている。先古典期後期のウスルタン式土器や石碑を刻む伝統も伝播した。6世紀末、ロマ・カルデラ火山の噴火に伴い埋まった集落ホヤ・デ・セレンは保存状態が良好であったため、世界遺産に登録されている。10世紀頃にはマヤ系民族の小王国がいくつか成立し、そのうちピピル族はクスカトランを首都にして統一王国を建設しつつあったが、1524年にスペイン人エルナン・コルテスの部下ペドロ・デ・アルバラードがこの地を征服しようとした。インディヘナは一度スペイン人を打ち負かし、グアテマラに撤退させるが、1525年に再びやってきたアルバラードの攻撃により、ベルムーダ市はサン・サルバドル(聖救世主)市と改称された。その後1528年にはエル・サルバドルのほぼ全域が征服された。
スペインの支配に入るとグアテマラ総督領の一部として管理のもとにおかれ、農業や牧畜業が営まれたが、中米の中ではグアテマラと並び開発された地域だった。 19世紀前半には中米各国のクリオージョたちの間で独立の気運が高まった。ナポレオン戦争でスペイン・ブルボン朝が一端消え去り、1808年からスペイン本国で、半島戦争と呼ばれる内戦が起きると、1811年から独立闘争が本格化した。1821年9月15日にグアテマラが独立すると、エル・サルバドルもスペイン支配から解放された。1821年9月16日に独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に他の中米諸国と共に併合されるが、1823年のメキシコ帝国の崩壊に伴い旧グアテマラ総督領の五州は中米連合州として独立し、1824年には中央アメリカ連邦に加盟した。エル・サルバドル出身のホセ・アルセが初代大統領となるが、独立後の自由主義者のフランシスコ・モラサンをはじめとするエル・サルバドル派と保守主義者のラファエル・カレーラをはじめとするグアテマラ派の内戦のなかで1838年に中米連邦は崩壊し、1841年には中米連邦の瓦解にともない「エル・サルバドル」として暫定的に独立を果たした。この時にアメリカ合衆国への併合を求めたが断られている。
その後すぐに連邦再建を求めての内乱やグアテマラとの戦争が発生したが、1857年には中米連合軍の一員としてアメリカ人の傭兵ウィリアム・ウォーカー率いるニカラグア軍と戦った。軍事独裁政権が相次いで成立し、その間に対外戦争や独裁打倒運動が行われた。また、この時期にコーヒーをはじめとする換金作物のプランテーションが多数設立された。1872年から1898年の間エル・サルバドルは連邦再結成派の旗手となり、1896年にはエル・サルバドルを中心にしてホンジュラス、ニカラグアと共に大中米共和国が設立するが、1898年には崩壊した。
ファラブンド・マルティ(右から二番目)1907年からメレンデス一族の独裁が始まると、20世紀には一時安定したが、世界恐慌で主要産業のコーヒーが打撃を受け世情は不安定となった。経済危機の混乱のなか、1931年にマクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネスがクーデターでメレンデス一族から政権を掌握し、専制体制を敷いた。その間激しい言論弾圧が行われ、反独裁運動を始めようとしていたファラブンド・マルティをはじめとする共産党員や、西部のマヤ系ピピル族などおよそ3万人が虐殺された。第二次世界大戦では親米派として連合国の一員に加わるが、1944年にはクーデターがおきマルティネス独裁は崩壊した。しかし、その後も政情は不安定でクーデターによる政権交代が相次いだ。
そうした中で1951年には「サン・サルバドル憲章」が中米5カ国によって採択された。エル・サルバドルは1960年に発足した中米共同市場により最も恩恵を受けた国となり、域内での有力国となった。こうして1966年にようやく大統領選挙によってエルナンデス政権が発足するなどの安定を見せたが、1969年には「サン・サルバドル憲章」以後も国境紛争や農業移民や経済摩擦など多くの問題を抱えて不和だったホンジュラスとサッカーの試合を原因にサッカー戦争が勃発してしまう。
ホンジュラスとの戦争後、30万人にも上るエル・サルバドル移民がホンジュラスから送還されたことなどにより経済、政治ともに一気に不安定化し、1973年の選挙結果の捏造以降、軍部をはじめとする極右勢力のテロが吹き荒れ、「汚い戦争」が公然と行われる中で、それまで中米一の工業国だったエル・サルバドルは没落していくことになる。
1979年にニカラグアでサンディニスタ革命が起きるのと時期を同じくしてロメロ政権が軍事クーデターで倒され、革命評議会による暫定政府が発足した。しかし、1980年にはオスカル・ロメロ神父をはじめとする聖職者までもが次々と殺害されていく状況に耐えられなくなったファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が反乱を起こし、エル・サルバドル内戦が勃発した。
事態の収拾のために暫定政府はアメリカ合衆国の支援を要請し、「エル・サルバドル死守」を外交の命題に掲げたロナルド・レーガン合衆国大統領は中米紛争に強圧策を持って臨み、軍や極右民兵に大幅な梃子入れを重ねた。1982年には政府と革命勢力の連立政権が成立したが、これも極右勢力の妨害によってすぐに破綻した。こうしてニカラグアの革命政権からの援助を受けてゲリラ活動を展開するFMLNと政府軍との内戦は泥沼化の様相を呈した。
1984年にはナポレオン・ドゥアルテ大統領が政権を担い、FMLNと首脳会談を実現した。しかし、この間政府軍・ゲリラ双方による・弾圧・虐殺・暴行が横行した。特に政府軍のそれは半ば公然と行われたが、アメリカ政府はそれを恣意的に無視して政府軍を支援し続けた。
1989年にはクリスティアーニが大統領に選出されたが内戦は収まらなかった。1992年にようやく国際連合の仲介で和平が実現し1000人からなるPKOの派遣が決定実施され、7,5000人にも及ぶ死者を出したエルサルバドル内戦は終結した。
FMLNは合法政党として再出発し、1994年には総選挙が実施され、カルデロン大統領が選出される一方、FMLNが第2党になった。
2001年にドル化政策(Dolarización)が実施され、それまでの通貨「コロン」に代わり、「米ドル」を自国の通貨として流通させるようにした。ドルとコロンの間は1ドル=8.75コロンの固定レートにより取引されていた。現在、旧通貨コロンはほとんど流通していない。
(以上、ウィキペディアより引用)
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